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http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704133804575198792329180312.html




この30年間、アフガニスタンは、軍人の増派、攻撃、自爆テロが日常でした。破壊と前進の時期、アフガニスタンには明るい未来への信仰の必要性が問われています。
そんな中、今年6月12日より、やっと音大と、一般授業としての音楽教育が30年ぶりに復活したようです。


この2年間、アフガン教育庁の援助の下、アフガニスタン国立音楽大学(インスティテュートですので専門学校ともいえますが日本語では大学と同意)The Afghanistan National Institute of Music (ANIM)設立のために、サルマスト氏はアフガニスタンにおける音楽インフラ整備のために東奔西走しました。
アフガニスタンの音大では10歳から、アフガニスタンとヨーロッパの音楽と一般教養を10年勉強して、最後はロンドンの音大と同等の卒業資格がもらえるそうです。
しかしながら、この音大設立もたやすいことではありませんでした。世界銀行からの2億円の出資は、今のアフガニスタンにとって至急整備されるべき、電気、水道、医療などのライフライン整備と共に、軽薄な要求であってはいけないからです。


ミュージシャンの迫害、楽器とレコーディングされたものの焼却など、タリバンはヨーロッパやその他の音楽を、「イスラム的ではない。神への冒涜である」と言って追放しました。

イスラム社会の文化的に効果を発揮するバロメーターとして、音楽は原理主義から中和させるべく、アフガニスタンを開放してゆく力を持っているのです。

音楽と芸術には、計り知れない商業効果だけにとどまらず、夢と希望をもたらす力がありま)す。

アシアナ基金(http://www.aschiana-fund.org/)(http://www.aschiana-foundation.org/)調査によりますと、首都カブールには7万人、アフガニスタン全土には60万人のストリートチルドレンがいます。
その子達は、不運にも誘拐されて、強制労働、売春や麻薬組織に売られてゆきます。
両親を失ったり行方不明の子供、片親の子供は、時には一家の収入を一人でまかされて、1日働いて100円の生活を強いられるのです。1ヶ月働き詰めで収入3000円です。


ethnomusicology(エスノミュージオロジー/民族音楽学)のUCLAの名誉教授であり、ラジオ・アフガニスタンの記録アーカイブ保存会主任でもある、ヒロミ・ロレーン・サカタさんは、語っています。「タリバンはアフガニスタンから歴史とアフガニスタンのアイデンティティを消し去ろうとしました。」

今でこそ、廃墟か途上国のように見える、アフガニスタンはソビエトによるアフガン侵攻前は中東のパリと呼ばれていました。Ahmad Zahir(アーマッド (アフマッド)・ザヒール)という1979年に33歳で自動車事故(政治家の息子だった彼はその死は実際のところ不明)でなくなった、国民的歌手(アフガンのエルビスと呼ばれていた)がいた70年代、ポップ文化も盛んでありました。

http://www.youtube.com/watch?v=JIodWatQGrE


親ソ連政権下での文化制限政策は、新たな国家のアイデンティティを築く目的で音楽を利用しました。

侵略と占領により、難民数百万人が国連とパキスタンの難民キャンプに殺到しました。しかし、すべての意図や目的のために、宗教指導者たちはそのまま残りました。

ロンドン大学ゴールドスミス校の民族音楽学教授でアフガニスタンの政策により離散してしまった音楽家情報にくわしいジョン・ベイリー氏の証言によりますと、"カセットテープが難民キャンプの門柱に釘でで打たれてありました。それが音楽禁止の標識でした。""ラジオで音楽を聞くことも禁止でした。アフガニスタンでは彼らがプロの音楽家であることは誰も口に出せなかったのです。"

タリバン政権崩壊後、状態は改善していますが、地域により様々です。安全に音楽化が守られて演奏活動をするように、サルマスト氏は政府に音楽家の権利を守れるように政府に呼びかけています。しかし、実際のところ、重要な課題は、有能な音楽教師を呼び込む魅力を作ることにあるようです。

有名なタブラ(打楽器)奏者サミール・チャテルジー氏(インド、カルカッタ出身、現ニュージャージー在住)は、アフガニスタン伝統音楽協会を設立するために尽力しました。北部インドからヒンドゥスタンの音楽家たちが1860年代にアフガニスタンの法廷にインド古典音楽を導いたことで2つの文化に密接な関係が築かれました。

チャテルジ氏はカブールに旅したときには、武装した警備の厳重な監視の下でゲストハウスに滞在しました。彼は、彼の車で打楽器クラスを行き来しました。そのときは毎日違う運転手で、違う道を通って職場へと通いました。
また、彼が昨年、ジャララバードの山の洞窟まで学生を募集するという特殊な旅に出たときは、銃口を向けられながら、こんな人生、ロマンのかけらもないもんだな、と思ったそうです。「あそこでは、注意して行動しながら思うんだ。こんな人生に価値があるのかと。」

1990年代からオーストラリアで亡命生活、音楽学の博士号を取得し、現在、家族をオーストラリアに残している、サルマスト氏も、このような感情を持っています。
"私は今までコミュニティや当局に受け入れられてきました。ほかに何も持ってないアフガニスタンの子供たちの手に、この寄付金で楽譜と楽器が送られるのです。音楽の学校は、戦争のように社会に害を加えることはないのですから。
タリバン時代以来の大きな変化ですが、これからも社会を変え続けてゆく大きな力があるでしょう。


(WEB版 ウォールストリートジャーナル2010年5月21日版より翻訳 TARO)









一つ花が咲いたようなニュース。

やがては種が落ち、少しずつ広がる平和のお花畑になるといいですね。

でもそのうち爆弾が落ちて、お花畑がめちゃくちゃになるのかなぁ、、、悲しい。

ぼくもタイコたたいてギター弾いて、種まきがんばろーって思いました。


戦争反対

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